開業医に患者を高度な医療を施すことのできる適切な医療機関へ転送すべき義務

(平成15年11月11日最高裁)

事件番号  平成14(受)1257

 

最高裁判所の見解

(1) 転送義務違反について

前記の事実関係によれば,次のことが明らかである。

① 上告人は,昭和63年9月27日ころから発熱し,

同月29日と30日の両日,本件医院で被上告人の診察を受け,

被上告人から上気道炎,右けい部リンパせん炎,へんとうせん炎等と診断されて

薬剤の投与を受けた。同年10月1日に発熱がやや治まったものの,

同月2日に再び発熱し,むかつきを訴え,

他の病院で救急の診察を受けたが症状は改善せず,

同日夜には,大量のおう吐をし,その後も吐き気が治まらず,

翌3日午前4時30分ころ同病院で救急の診察を受けた後,

同日午前8時30分ころ本件医院で被上告人の診察を受けた。

 

その際,被上告人は,他の病院での上記診療の経過を聞いた上で,

上告人に38℃の発熱,脱水所見を認め,急性胃腸炎,

脱水症等と診断し,本件医院の2階の処置室で同日午後1時まで

約4時間にわたり700㏄の点滴による輸液を行ったが,

上告人のおう吐の症状は一向に改善されなかった。

 

② 上告人は,いったん帰宅したが,おう吐の症状が続いたので,

午後4時ころ以降,再度,本件医院で被上告人の本件診療を受けることとなった。

 

被上告人は,上告人に対し,午前中と同様,

2階の処置室で点滴による輸液を受けさせることとしたが,

上告人は,点滴が開始された後もおう吐の症状が治まらず,

黄色い胃液を吐くなどし,さらに,点滴の途中で,

点滴の容器が1本目であるのに2本目であると発言したり,

点滴を外すように強い口調で求めたりするなどの

軽度の意識障害等を疑わせる言動があったため,

これに不安を覚えた母親は,被上告人の診察を求めたが,

1階の診察室で外来患者診察中であった被上告人は,

すぐには診察しなかった。被上告人は,上告人に対し,

同日午後4時過ぎから午後8時30分ころまでの約4時間にわたり,

700㏄の点滴による輸液を受けさせた後,

1階の診察室で上告人の診察をしたが,その際,上告人は,

いすに座ることもできない状態で診察台に横になっていた。

 

被上告人は,同日午後9時に上告人を帰宅させたものの,

上告人のおう吐の症状が続くようであれば事態は予断を許さないと考えていた。

 

③ 本件医院は,いわゆる個人病院であり,

入院上告人を入院させる必要がある場合には,

高度の医療機器による精密検査及び入院加療が可能な病院への入院を考えており,

同日夜には,同病院あての紹介状を作成していた。

 

以上の診療の経過にかんがみると,被上告人は,

初診から5日目の昭和63年10月3日午後4時ころ

以降の本件診療を開始する時点で,初診時の診断に基づく投薬により

何らの症状の改善がみられず,同日午前中から700㏄の点滴による輸液を

実施したにもかかわらず,前日の夜からの上告人の

おう吐の症状が全く治まらないこと等から,

それまでの自らの診断及びこれに基づく上記治療が適切なものでは

なかったことを認識することが可能であったものとみるべきであり,

さらに,被上告人は,上告人の容態等からみて

上記治療が適切でないことの認識が可能であったのに,

本件診療開始後も,午前と同様の点滴を,常時その容態を監視できない

2階の処置室で実施したのであるが,その点滴中にも,

上告人のおう吐の症状が治まらず,また,

上告人に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,

これに不安を覚えた母親が被上告人の診察を求めるなどしたことからすると,

被上告人としては,その時点で,上告人が,

その病名は特定できないまでも,本件医院では

検査及び治療の面で適切に対処することができない,

急性脳症等を含む何らかの重大で緊急性のある

病気にかかっている可能性が高いことをも

認識することができたものとみるべきである。

 

上記のとおり,この重大で緊急性のある病気のうちには,

その予後が一般に重篤で極めて不良であって,

予後の良否が早期治療に左右される

急性脳症等が含まれること等にかんがみると,

被上告人は,上記の事実関係の下においては,

本件診療中,点滴を開始したものの,

上告人のおう吐の症状が治まらず,

上告人に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,

これに不安を覚えた母親から診察を求められた時点で,

直ちに上告人を診断した上で,

上告人の上記一連の症状からうかがわれる

急性脳症等を含む重大で緊急性のある

病気に対しても適切に対処し得る,

高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へ

上告人を転送し,適切な治療を受けさせるべき義務が

あったものというべきであり,被上告人には,

これを怠った過失があるといわざるを得ない。

 

これと異なる原審の判断には,転送義務の存否に関する

法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。

 

(2) 相当程度の可能性の侵害について

医師が過失により医療水準にかなった医療を行わなかった場合には,

その医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,

上記医療が行われていたならば患者が

その死亡の時点においてなお生存していた

相当程度の可能性の存在が証明される場合には,

医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって

被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである

(最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決・

民集54巻7号2574頁参照)。

 

患者の診療に当たった医師に患者を適時に適切な医療機関へ

転送すべき義務の違反があり,本件のように

重大な後遺症が患者に残った場合においても,

同様に解すべきである。すなわち,患者の診療に当たった医師が,

過失により患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において,

その転送義務に違反した行為と患者の上記重大な後遺症の残存との間の

因果関係の存在は証明されなくとも,

適時に適切な医療機関への転送が行われ,

同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受けていたならば,

患者に上記重大な後遺症が残らなかった

相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,

患者が上記可能性を侵害されたことによって

被った損害を賠償すべき不法行為責任を

負うものと解するのが相当である。

 

このような見地に立って,本件をみるに,被上告人には,

急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処し得る,

高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へ

上告人を転送し,適切な治療を受けさせるべき

義務を怠った過失があることは,前記のとおりであり,

また,前記事実関係によれば,上告人には急性脳症による

脳原性運動機能障害が残り,上告人は,身体障害者等級1級と認定され,

日常生活全般にわたり,常時介護を要する状態にあり,

精神発育年齢は2歳前後で,言語能力もないとの

重大な後遺症が残ったというのである。

 

したがって,被上告人が,

適時に適切な医療機関へ上告人を転送し,

同医療機関において適切な検査,

治療等の医療行為を受けさせていたならば,

上告人に上記の重大な後遺症が残らなかった

相当程度の可能性の存在が証明されるときは,被上告人は,

上告人が上記可能性を侵害されたことによって

被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものというべきである。

 

しかるに,原審は,前記のとおり,急性脳症の予後が

一般に重篤であって,統計上,完全回復率が22.2%であることなどを理由に,

被上告人の転送義務違反と上告人の後遺障害との間の因果関係を否定し,

早期転送によって上告人の後遺症を防止できたことについての

相当程度の可能性も認めることができないと判断したのであるが,

上記の重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存否については,

本来,転送すべき時点における上告人の具体的な症状に即して,

転送先の病院で適切な検査,治療を受けた場合の可能性の

程度を検討すべきものである上,原判決の引用する前記の統計によれば,

昭和51年の統計では,生存者中,その63%には中枢神経後遺症が残ったが,

残りの37%(死亡者を含めた全体の約23%)には

中枢神経後遺症が残らなかったこと,

昭和62年の統計では,完全回復をした者が

全体の22.2%であり,残りの77.8%の数値の中には,

上告人のような重大な後遺症が残らなかった軽症の者も

含まれていると考えられることからすると,

これらの統計数値は,むしろ,上記の相当程度の可能性が

存在することをうかがわせる事情というべきである。

 

そうすると,原審の上記判断には,上記の相当程度の

可能性の存否に関する法令の解釈適用を

誤った違法があるというべきである。

 

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